「風立ちぬ」考。

実は、風立ちぬは公開初日に観ておりました。

観た当日には、あんまり分かってなかったんですが、モヤモヤした感覚がとにかく残っていて、それの正体が分からずにいました。

色々と巷の批評や感想など読んだりするにつれ、大分自分の感想としてまとまってきたので、ここに記しておく事に致します。

以下、盛大にネタバレしますので、まだ観られてない方は読まない方が良いかと思います。

まず、この映画を観た方は、光面(次郎)闇面(菜穂子)のどちらに感情移入するかで、感想が綺麗に分かれているように思います。多分、初回観てすぐの方はどこか腑に落ちない何かを感じつつも、大半は光面の感想を述べているように思います。

 

主立った光面(次郎)側の感想の特徴

  • モノ作りクラスタプロジェクトX的な感動が主軸
  • 飛行機製作の描写や、会社の仲間達とのやり取りが良かった
  • 恋愛要素は確かに感動はした(もしくはしてない)…けど、要らなかったかも…。
  • 真っ直ぐ、「美しいモノ」を何があっても愚直に極めんとする主人公に共感した。

 

等々、こんな感じ…ですかね。かくいう私めも観た直後は、オタモノ作りクラスタの名に恥じる事なく、このようなある意味真っ直ぐな感想を持っておりました…。

所がですね、菜穂子さんの行動や言動にやけにモヤモヤしたものを感じ続けておりまして、そこがスッキリしない霧のように燻り続けておったんですね。それで、考えたり他の人の批評など観ている内に、気付いてしまったんです。

この映画が、そういった光面的な主人公に共感してしまう者達に対する断罪、そして贖罪の映画である事に・・・。

 

もう一度、別の視点から、この映画の特徴をまとめ直してみます。

闇面(菜穂子)側視点からの見ると

  • 常に世界から浮き続け「美しいモノ」にしか興味を示さないオタクな主人公
  • 可愛い(美しいモノ)女性が画面に出た時、必ずそちらを凝視してる主人公の自意識過剰さ(一々それらを見ている演出が必ず入る)
  • …にも関わらず、女性には基本的に奥手。常に向こうの出方を待ってからの行動。
  • そういったオタクのシンボル/アイコンとしての庵野カントク、「わざと」浮かせて違和感を持たせ続ける声と演出
  • 自分の妹への薄情さ加減(美しくないモノ…には興味がない)
  • 本当は「菜穂子」にも最初は興味が無かった(!)。これは、最初におんぶで助けた女中の女性に、先に水を上げたり、見えなくなる際に彼女の方を目で追っている事で分かる。要するに、二郎が恋して、再会を期待して屋敷の焼け跡を観にまでいったのは、彼女の為だった(菜穂子ではない…)
  • 二郎に再会した際、「菜穂子」はもちろん覚えていた(二郎の宿泊先を突き止め、追った?この辺は微妙だが…)にも関わらず、二郎は明らかに忘れていた。
  • なので、過去の話を持ち出して自分の事を思い出させる際に、先の女中の彼女が結婚し子供までもうけた事を知らせ、そちらの目をわざわざ潰す必要があった。
  • だったので、パラソルとキャンバスで、森の奥に引き込んだ際の態度が……。彼女はずっと慕い続けていた男に、実はなんとも思われてなかった(見え見えのウソをつかれた…)事に気付いてしまい、ある意味、失恋したかのような思いに耽っていた。
  • その後、無事に恋愛は成熟するも、相変わらず「美しい」という理由でしか、菜穂子を愛せない二郎。ことある毎に呟くも、その語ばかりで、他の理由は言わない。
  • 決定的なのは、療養所で二郎が菜穂子に宛てた手紙…。最初の二行こそ、菜穂子を労る内容であるが、三行目からは自分の仕事(美しいモノ)の事ばかりしか書かれていない……。それを見た奈緒子は、件の行動に出たわけである…………。

これらの事実に気付いた時、改めてため息しか出なくなってしまったのでした。。。

そりゃあ、妹君にも人でなし扱いされてしかるべきですね。自分の命を文字通り削りながら、必死に自分の美しさを保つ努力をしながら、「美しいモノ」にしか興味を示してくれないオタク青年に寄り添ってくれたヒロイン…。

その流れは終盤のあのシーンで、結実します…。考えるに、あの後、二郎は一度も療養所に顔すら見せず飛行機の設計に打ちこんでいたんだと思います。そして、飛行機が飛び、成功したのと同時に、虫の知らせを受け取る…まるで彼女の命が飛行機に宿り、成功を導いてくれたかのような…そんなシーン。死に目にすら、彼は立ち会わ(え)なかったのです。

 

なんて残酷な物語…。そして、そんな残酷な物語にも関わらず、なんでこんなにも美しく見えるように描けてしまうのかと。70代も半ばを超えて、このような映画を作り上げてしまう若さに唖然とするのでありました。

また監督も、仕事にかまけて家庭を蔑ろににしてきた(吾郎氏には、育ててもらった憶えが無い呼ばわり…)事に対する贖罪の映画でもあったりするんだろうか等と思ったりするわけです…。

そして、オタモノ作りクラスタの自分と致しましては、ちょっと色々と反省しようと…家庭や家族と仕事との折り合いに関して、もうちょっと頑張ろうとか、心をあらたにするのでした。。。。。